teeny-tiny star

背が高くてスタイルが良くてイケメンでかっこいいスーパーアイドル藤井流星くんを応援しているおたくの記録用。

担当とおたくが別の道を歩くこと

 

 



流星くんの話ではないしおそらく読んでいて楽しいものでもないと思います。ただ今思っていることを残しておきたいので、少しだけ、書かせてください。





明日から始まるサマパラ2日間、どんな気持ちでステージを見たら良いんだろうとずっと考えていましたが、結局なにも答えはでませんでした。わたしの中で博貴の時間は2011年の内博貴 with Question?公演で止まっていて、そこから動き出すことは一生ないと思っていたからです。あのとき戻っておいでという周りの声を振り切って、もう戻る気はないと言った博貴は、清々しいくらいに前を向いていました。


2001年に右も左も分からないあどけなさの残る顔で真ん中に立って(ほとんど立たされたような表情で)歌う博貴を見て、この子を応援したいと思いました。干されかけてた関西ジャニーズJr.のなかで突然推されるようになった、とびっきり顔がかわいくて甘やかされるのに躊躇しないちょっとアホでお母さんと妹が大好きでほんの少しチャラい(だいぶいい風に言った)内博貴V.WESTというグループが大好きで、オリ曲をもらって単独公演もして、きっとこれからもっとファンが増えるはずだと思って応援していました。2002年に関ジャニ∞が結成されて頻繁に松竹座に通うようになり、初めて見たANOTHERでりょうちゃんが死んだことに衝撃を受けたりして、そんな松竹座もいつの間にか満員になることが多くなり、3階席まで埋まるようになって、わたしの中では密度の高い時間でしたが、でもそんな過去もすべて吹っ切って前に進むんだなと思わされました。


博貴がいなくなって色んなことをしたし戻ってきてほしいとずっと思っていましたが、本人はそんなことは求めていなかったんだと、その時は死ぬほど落ち込みました。放送されるはずだったドラマもお蔵入りになんてしてほしくなかったし、ラジオだけで流されてリリース時には撮り直しになった8人で歌っていた「好きやねん、大阪」も「無限大」も、未だにずっと音源は残していて。でもそういうこと全ておたくのエゴでしかなかったのかと思い、悲しくて涙が止まりませんでした。その後の東京公演でも、本人は「これからは自分の力で進んで行きます」と言っているのに、周りのおたくも、当時もう流星くんに降りていたわたしでさえみんなワンワン泣いてしまっていて、お葬式かお通夜か?みたいに思いました。何も昇華されない、あんなにただ悲しいだけのコンサートはもう味わいたくないと思いました。(ただし2014年のあけおめで同じくらい悲しいだけのコンサートを経験することになります。)


それからもう元担の現場も、元担がいたエイトの現場も避けるようになってしまったわたしは、舞台はもちろん2013年にソロでクリエが決まった時でさえ行く気持ちにはなれませんでした。内博貴というひともエイトというグループも好きだけど、現状のその人たちを応援してあげられない自分に嫌気がさして、何も見ないことにしました。今思えば流星くんがエイトのバックにつくこともそんなになかったから、それが理由でもあると思います。2011年のw/Q公演で「俺はもう戻らへんけど、離れんといてな」と言った博貴の言葉をそのまま受け入れることができませんでした。すごく苦しそうに言っていたのに、当時はなんで勝手に決めちゃうのってそんなことばかり思っていました。あの時AXにいた大半の人もそうだったんじゃないかな。担降りしたのにいつまで引きずってるんだって言われるのが分かっていたから、あまり元担の話はしませんでした。本当はアイドルしてる博貴が大好きだから応援してあげたいのに、素直にそうできない自分が嫌で、その後の活動もなるべく目にしないようにしていました。



それでも明日、6年ぶりに博貴のソロコンを見に行こうと思ったのは、博貴の原点がそこだったからです。舞台や演技は彼が見つけた彼の武器だけど、わたしが見つけたときの彼はまだ持って生まれた才能だけでマイクを持って歌って拙いダンスを踊る博貴だったから。コンサートと銘打って行われるいまの彼のステージがどんなものなのか、この目で見ておかないと後悔すると思ったからです。まっさらな状態で見たらどんなことを思うのか、そもそもちゃんと見られるのかすら不安なくらいですが、しっかり今の内博貴を見ておこうと思います。もうわたしが好きで好きで仕方なかったかわいくてヘタレで愛されキャラの博貴はいないと思うけど、少しでも前を向けるように。